エルファ デジタル写真展2022.01
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1998年9月に発足された「ウリ(わたしたち)式介護研究会」。同胞介護に寄与したいと集まった在日コリアン2世たち。介護について学び自ら資格を取得し、研究を重ねる一方、ひとり暮らしの1世ハラボジ、ハルモニを一軒一軒訪問しながら介護保険のアナウンス活動を始めました。
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2000年9月。NPO法人 京都コリアンセンター生活エルファ設立の集い。
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2001年10月。デイサービス・ハナマダン東九条の午後の様子。昼食後は自由にチャンゴをたたき思い思いのうたを口ずさみます。当時の利用者は全員一世。一世特有の味のある歌、オッケチュム(肩踊り)…故郷にいたころに覚えたたくさんの歌を、記憶の限り伝授していただきました。
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2002年11月、東福寺にて。チャンゴに合わせて歌って踊る姿に、居合わせた観光客もびっくり。どこへ行ってもホームグラウンドにしてしまいます。
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2003年4月、豊国廟にて。花見、紅葉狩り、芋ほり…外出の時は、利用者たちの呼びかけで、職員はもちろん、厨房のオモニ、事務所のスタッフも動員してお出かけ。みんなが参加する外出するレクリエーションを心から喜び楽しんでくださいました。
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2002年12月。クリスマスの日に希望の家保育園の崔忠植園長先生(当時)と子どもたちが聖歌を謳いに来てくれました。
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2004年11月。ルイーズ・アルブール国連人権高等弁務官(当時)の来訪。高等弁務官が「日本に渡ってから随分ご苦労されたことでしょう。」と語りかけると、Sハルモニ「その話を聞きたかったら、30分で帰ったらあかん。3日はここに泊まってくれなあきません(笑い)…これからの子どもたちには差別がないよう、ほんまにたのみますよ。」
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2002年6月。デイサービス・ハナマダン南京都開所。ウトロの広場にあったデイサービスには宇治、田辺、八幡などの地域からも利用者が集まりました。ウトロの土地退去判決の後に開所した施設は、いつ強制退去を命じられるのか、不安を抱えていた。1世たちにとって昔なじみの仲間といっしょにいられる安らぎの場でもありました。
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2003年5月。デイサービス・ハナマダン洛北開所。京都市北区の立命館大学衣笠キャンパスのすぐ近くに開所されました。昼食後の「くつろぎタイム」です。
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2004年10月。デイサービス・ハナマダン洛北の運動会。開所当時の利用者は西陣織や京友禅に従事していた1世がほとんどで、日本の伝統産業を支え、地域を支えてきたことを誇りにしておられました。
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2004年9月。福島瑞穂参議院議員来訪。「エルファ友の会」のお力添えで交流が実現しました。
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2005年。ハナマダン南京都でのひとコマ。朝、デイサービスに到着すると「なにかあった?どうしてたん?」と、久しぶりに通所された利用者を囲みます。デイは「なんでも相談所」となり、あーやこーやとアドバイスが飛び交います。よくある心温まるひとコマです。
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訪問ヘルパーの活動は在宅支援の要です。悪天候でも、新型コロナウイルスの影響があろうとも、休まず援助に入ることで利用者の在宅生活が守られています。
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2006年5月。エルファまつり。ハンドベル合奏「コヒャンエ ポム(故郷の春)」の演奏を前に、照れくさそうに笑うハナマダン南京都のハルモニたち。
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2006年7月。エルファ5周年記念コンサート。ハナマダン洛北の利用者さんがエルファの利用者、職員、子どもたちをテーマに制作した曲をまとめ、CD『ともに』を発売。5周年記念誌も作成しました。
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エルファまつりIN清水寺。「エルファ友の会」の呼びかけで始まったエルファまつりは、2003年から2007年まで清水寺圓通殿で開催されていました。
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2008年からのエルファまつりは利用者が寸劇を披露していました。だいたいのストーリーは決めていても練習の度に、本番もアドリブばかりで内容が変わります。それがまた、おもしろくて楽しいんです。
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2010年4月。ハナマダン洛西開所。この年のエルファまつりは清水寺森清範貫主と女優の新屋英子さん参加のもと、洛西開所を記念して行われました。
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2015年10月。大阪女学院大学の学生との交流。「なんも知らんわたしらに会いに来てくれてありがとう。がんばって生きてるから、また来てな…」ジャーナリスト中村一成さんが担当する大阪女学院大学との交流は2005年から始まり今も続いています。
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2017年4月。同志社大学の学生との交流。交流を終えると、こうしてひとりひとり手をにぎり、お別れのあいさつを交わします。
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同志社大学の学生との交流。板垣ゼミのみなさんとのゲームで盛り上がっている様子です。写っているみなさんの笑顔が印象的な1枚です。
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2016年。韓国梨花女子大学の学生奉仕団との交流。3日間のボランティア活動最終日に多様な演目を披露してくれました。
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ハナマダン洛北のカラオケタイム。といっても伴奏はありません。みなさんアカペラです。あるハルモニが子どものころ故郷で歌っていたうたの内容がおもしろくて、デイ内に広まり、今ではみんなで歌います。
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運動会の始まりは準備体操から。既にこの時点から赤組、青組両者とも気合が入ります。
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デイサービスのレクリエーションはバラエティーに富んでいます。職員たちが落語家に扮したエルファ版「笑点」も好評でした。謎かけ、とんちなどハラボジ、ハルモニたちに配慮した大喜利ネタでみなさん大爆笑でした。
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エルファ書芸教室。高麗書芸研究会の講師の先生に手ほどきを受けながら「祖国」「よろこび」「万年長寿」…朝鮮語や漢字で書をしたためました。はじめて筆を握る方も、書けば書くほど上手になることが楽しくて夢中になっておられました。
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1921年済州島生まれの高五生オモニ。2011年8月に、息子さん家族が住む朝鮮民主主義人民共和国へ帰国されました。
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1936年釜山生まれの徐萬守オモニ。2019年10月に、生まれ故郷であり、子どもたちが住む釜山へ帰国されました。
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2001年から始まったエルファ手話講座。エルファ職員を中心に近隣にお住まいの方、関係機関で働く方などたくさんの方が受講してくださいました。入門、初級、中級と受講生のレベルにあわせたコースで、アットホームな雰囲気の中で行われています。
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2015年からスタートした事業計画発表会。事業所ごとに1年のふりかえりと今年度の目標を法人の全職員・理事・職員OBOGの前で発表します。お互いの業務、隠れた努力をここで知ることになります。功労賞、特別賞の授賞式や写真スライドで故人を偲ぶひとときもあり、笑いと涙をともにして1年間の仕事にはずみをつけます。
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実習生たちには、デイサービスで語らう、作業所で一緒に作業するなど、私たちエルファの日常をともに過ごしてもらっています。そんな時のハラボジ、ハルモニたちは決まって格段のホスト精神を発揮され、職員も瞬時に来訪者の心をとかし、交流の輪へいざないます。学ぶ機会を奪われたハラボジ・ハルモニたちが「教え役」にまわる姿は、もはやエルファの当たり前なのですが、どれほど貴重な光景でしょうか。
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「後世のために、民族差別のない社会のために闘う」と、年金制度に国籍差別があったために無年金を強いられてきた在日一世、5人のハルモニが2004年に京都地方裁判所で提訴しました。チョゴリを身にまとい、西陣織産業で60年以上働いてきたハルモニが作った西陣織のベストを弁護士が身にまとい、戦前戦中戦後と日本社会に貢献してきたこと、納税の義務はあっても権利の保障が一切ないことを裁判官に訴えました。
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